入野理事長の経歴

昭和53年4月に栃木県の建築技術吏員として採用され、初めの4年間は県有建築物の、設計・積算・工事監理等を担当した。

その後は、人事の定期異動により、建築確認申請等をチェックする建築主事や再び工事を担当するなど、建築技師としての礎をしっかりと積ませていただいた。

1995年に発生した阪神淡路大震災では、これまでの経験を評価され栃木県を代表として、兵庫県教育委員会に1年間派遣され、学校施設の復旧復興に尽力した。

その後の新潟県中越沖地震では、被災家屋の罹災証明(苦情処理)のための2次診断員として1週間柏崎市に派遣され、民間住宅等の災害復旧への一躍を担った。

これらの地震災害での各種の経験もあってか、栃木県建築課に耐震推進担当の新組織が誕生し、住宅や県有建築物を含む公共施設の耐震化計画(耐震診断、耐震補強工事)を推進してきた。

また、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震では、県内にも多くの建物被害があったが、工事担当のリーダーとして、県有建築物を中心に応急復旧や災害査定の陣頭指揮をとってきた。

公益財団法人とちぎ建設技術センターでの建築部長を4年間の務めが、県庁職員として最後の職務となった。

ここでは、品質の高い建築物を造ることを心掛け、企画段階から工事完成までの各種支援を建築技師の少ない市町を中心に実施してきた。

また、設計や施工など建築に携わる人達への研修等にも力を注ぎ、時代を担う青年を育成してきた。

BIMとの出会い①

前述のとちぎ建設技術センター役員から、社会貢献活動の一環として建築フォーラムを実施するよう打診され、2013年3月〔「日光東照宮五重塔」と「東京スカイツリー」その謎と魅力〕と題するシンポジウムを開催した。

財団法人日光社寺保存協会から浅尾氏、スカイツリーの工事を担当した大林組から堀池氏にそれぞれ基調講演をお願いした。

その堀池氏はスカイツリーと宇宙エレベーターのプロジェクトメンバーであり、控室での談笑のおり、「BIMが無かったならばスカイツリーは完成しなかったばかりでなく、設計も施工もスムーズに進まなかった」との意見を伺うことができた。

初めて聞くBIMの存在。大林組の栃木支店長にBIMとは何かと、事あるたびに説明を受け、施工の現場ではBIMは必要不可欠なものになることを確信した。

BIMとの出会い②

 前述のイベントの翌年度、栃木県建築士事務所協会が開催するシンポジウムに参加した。

慶応大学大学院の池田教授がアルゴリズムについての基調講演があり、県内の建築系大学の学生等が多く参加したイベントであった。

 これを契機に益々BIMの将来性を確信した私は、現在の職場にBIMを導入し、最先端の建築生産システムを多くの人たち、特に学生には大いに学んで欲しいと思うようになった。

BIMを導入するに当たって

 とちぎ建設技術センターは公益財団法人として認可を受けたことから、経営計画の見直し作業に取り掛かる。

これは、今後の5年間の経営戦略を見直すもので、建築部としてもこれまで以上の市町支援の在り方や社会貢献にどう寄与するか等の諸問題を検討することとなった。

 そこで、第一に検討したのはBIMの導入と活用であった。BIMの導入については、建築部内で検討し、グラフィソフト社のARCHICADとした。(グラフィソフト社は学生に対し無料でARCHICADをダウンロードさせていたのも選定理由の一つである)

また、活用に当たっては、学生には無料で研修を受けられるよう役員を説得した。

そのかわり、学生には技術研究発表会等で活動報告をしていただく等の条件を付加することとなったのである。

学生BIMコンペ開催に至るまで

 これまで、県内学生との交流を結んでいた栃木建建築士事務所協会の佐々木会長等とも大学、産業界、官庁関係との連携をどう構築していくかを相談してきた。

また、慶応義塾大学の池田教授にも相談した。池田教授からは、学生にBIMを無料で教えているのであればいっそ、BIMによる設計コンペを計画してみてはどうかとの貴重な意見を頂戴し、これを産官学連携の事業に展開することで、物語が開始した。

 日本初の学生BIMコンペを開催するに当たっては、審査をどの方にお願いするか。審査方法をどうするか。予算はどうなるか。すべてが試行錯誤の世界で動き出した。グラフィソフト社の協力抜きでは考えられなかったが、とにかく動いた。

 敷地の選定については、県の管財課等からの協力を得て、県庁北西に位置する県有地とした。
 
 課題は、慶応義塾大学の池田教授にお願いし、24時間との制限時間を設けてのコンペとした。
 
 審査委員長には、建築家の隈研吾氏、委員にはザハ・ハディド事務所の内山美之氏や慶応義塾大学の池田靖史教授、その他主催者等から2名とする計5名での審査体制となった。

 予備審査や本審査の準備、体制も整った段階で、いったい何人の学生が応募してくれるのか、よい作品が応募されるのか期待と不安の中、コンペが開始された。(第1回マロニエ学生BIM設計コンペティションの内容は端末に掲載します。)

NPO法人とちぎ建築応援隊の設立とBIM

 栃木県庁の、また、とちぎ建設技術センターの職員として多くの事績を残して定年を迎えた私は、まだまだやり残してきたことがあると思い、自由に、そして思う存分社会に貢献するためにも自立の道を選択した。やり残してきた主な項目は下記のとおりである。
①品質の高い建築物を建築するための人材育成
②BIMを含む最先端技術の普及啓発
③各種建築に関する情報発信

 特に②のBIMに関しては、副理事長に横山邦明氏を副理事長に迎え、グラフィソフト社の協力の下で、栃木県内のBIM普及に力を注ぎたいと思っている。
 NPO法人とちぎ建築応援隊でのBIM教育(研修)は東京(グラフィソフト社)で行うものと、全く同じである。なぜなら、グラフィソフト社でARCHICADを教えているのが、横松氏であるからだ。

 近い将来は、高校生のBIMコンペティションも実施したいと考えています。
 若い多くの方々が、このBIMを駆使し、質の高い建築物が建築できることを夢見て・・・